京都芸大にはいりドイツ歌曲を学びその世界に魅せられ、極めたいと研鑽を積むこと20数年。
その間、ドイツ・ブレーメン、ハンブルグ、カム、バットウラハ市 またオーストリア・ウイーンで勉強をした。いずれもリートを中心に。
著名ピアニストと演奏をする機会を与えられ、歌とピアノの密接なかかわりを勉強してきた。
もちろんその間にオペラ、オラトリオ、とオーケストラとの共演の本番も重ねてきた。
しかし、この度巡り合わせてきた「椿姫」のVioletta役。決定したのは5月。そして練習開始日が発表されたのは6月ごろ。
自分の中での大きなチャレンジだった。11月6日公演にむけて始めは1ヶ月に2回の稽古が7月からスタートした。
さて、全幕イタリア語だ。出ずっぱりだ。もちろんイタリア語は大学で勉強した、イタリア歌曲もアリアも基礎から学んでいる・・・でも長年ドイツ語にどっぷり浸かっていた私には殆んど未知の世界に感じられた。
このオペラを一本通すのは至難の技だぞ。
6月から朝から晩までスコアを手にする。そしてなんとか7月の初練習日にはすべて暗譜を終えていた。
暗譜から先が長い道のりだから。
暗譜していないと指揮者のやりたい事も理解できないし、リズムもフレーズも意向に添えない。
そうして、立ち稽古が始まったのはそれから2カ月後だった。それまでの間の音楽練習は5回くらいあったと思う。
立ちがはいると、あんなに練習していた音楽もすべて1からやり直し状態だ。
1小節歌うごとに動きが指定される。目の動かし方、その時の感情、どこの小節で一歩出るか、なぜ1歩出るのか、その意味を考える。相手が歌っている時の、1つ1つの言葉で反応、どう反応するべきか。
自分の出番だけでもほぼ全幕なのに、さらに残りの部分もすべて頭に入れなければ、舞台上での演技はできない。
これは私が学んできた、経験を積んできた自分自身の解釈で演奏していい、ドイツ歌曲やオラトリオとは全く別の世界。
やや焦り始めたのはこの初立ち稽古の日からだった。
いかにメロディーを重視し、音楽だけを重視してうたってきたか反省させられた。
言葉!言葉!言葉!だ。
イタリア語だ!!!
これを最も必要とされた。
それを少しずつ自分のテンポで本番へ向けて作って行き、11月3日。
この日から通し稽古が始まった。今まではピックアップして各箇所を練習していたが、一幕から三幕まで通しての練習。
このヴィオレッタは高級娼婦、
彼女の心境の変化を明確に表さないとオペラの枠組みがはっきりしない。
いくつかの心の変化がある。
まだ舞台の写真ができていていないので楽屋の衣装写真のみ添付。
1、青年アルフレードと出逢い生まれて初めて心から人を愛してしまうドキドキと不安に満ちた心。
彼との純愛に幸せな日々送る。ところがある日訪れたアルフレードの父。私たちの家族の幸せのためにあなたのような女性と息子の交際を許すわけにはいかないと別れを説得させられる。
2、アルフレードを愛すあまりその父の言葉に重みを感じ、彼の家族の幸せのため身を引く覚悟をした彼女。
ココでまた娼婦の道へ戻ってしまったのが「La Traviata」というタイトル「道を踏み外した女」につながるのだろう。
どこか田舎の土地で農婦になってもいいのに・・・
やはり華やかだったパトロンとの生活にもどってしまう。
そして愛するアルフレードには一通の手紙を残すのみで別れるが社交Partyで出会ってしまう。
3、彼に友人達の前で侮辱され、愛する心を理解してもらえない、そしてそれを告げられないやり場のない心に、ずたずたにされ打ちひしがれる。
4、結核が悪化して死の床。一人で死にゆくはずが、まさかのアルフレードとの再開。
死ぬ直前にすべての痛みが消えさる。これは結核患者だけでなく、病死する直前の人に稀にある症状の一つらしい。「私が死んだら、この(私を愛する)人は楽になるんだ。」 と思った瞬間、激痛は止み、すべての痛みと苦しみから解放されるそうだ。
同じく息を引き取るヴィオレッタは傍で聞く愛するアルフレードの声、彼の呼吸を肌で感じることで幸せに満ちていた。もしかしたらまた二人で暮らすことができるのかもしれないそんな錯覚に陥ったその時、突然すべての痛みから解放されたのである。力が沸いてきて生きる希望と生命の光を見る。
5、そして彼女はその光へと手を差し伸べながら息を引き取る。
この決して複雑ではないシンプルな心の変化を美しいメロディーと、動きの中で観ている人に明確に示さないとならない。
すべての公演を終えた今、この役を時間をかけて自分のものとし、近い将来もう一度演じたいと思った。