湖が恋しい。
京都に居た頃はよく授業の後、滋賀までドライブして、琵琶湖を見に行ったっけ。
海も素敵だけど、海は激しく波うつ可能性があるから
でも、・・・静かな海岸・・・そこに雪が積もっていたら・・・なんて時々頭に描く風景があったりする。
でも曇った海は哀しいだろうな。
ドイツの北部に位置するズルト島という島に泳ぎに行った時、静かで広大な北海に沈むオレンジ色の夕日を見た。
そうだった、その時プロポーズされたなぁ(今の旦那ではない)。
そして、なんとその彼は、ホモだった・・・
女にプロポーズしてくるな~!!(笑)
だけどどうして向こうのホモってあんなに美しいのだろう。美男とはこれぞ。と言う感じ。
そしてやさしいしノリがいい。オッケーしていたらどうなってたんだろう。まさか私の目もそこまで節穴なわけではない。確信できなかっただけでちゃんと疑っていたから(笑)
しかし、彼のお陰でホモをたっくさん見てこれた、そのお陰で今はほとんどホモかそうでないかを一瞬で見分けることができるようになった。
えっとなんでホモの話になってるんだろう。水の話だった。
今日は午後2時間ほど自由な時間がとれ自分の部屋で大好きなクリムトの本を読んだ。
急に「水蛇」の絵が見たくなったのだ。金色が飛び散っている。
またその絵の中に引き込まれていった。
水の中に一体化した女性の姿。
彼の絵ほど水と女が一体だと感じるものはない。
私は彼の作品は風景画以外ほとんど好きで、特に黄金色の様式時代が大好きだ。
愛と性、若さと老体、生と死、これらのテーマが一枚一枚に限りなくイメージされている。自然を愛した彼はところどころに花のモティーブが用いられなんともやわらかい。そしてそのイメージするのもの的確さ。
彼は人を愛した時、瞬時にその終わり、つまり肉体の滅びる時=死を見ていたんだなぁ。
だからどんなに美しい絵でもその背後には死が描き出されている。
愛した時にその終わりを同時に見ることは決して幸せではないだろうがこれがこの世の現実。それを一枚の紙の上に表現する。芸術は比較できないが、このような絵に出会う時、音楽以上かもしれないな。と思ってしまう。
この「水蛇」をみるといつも思う。
この女性たちが水と一体化している恍惚とした表情に、全世界の美を表現したクリムトはなんという感覚の持ち主だったのだろう。
大理石と彼の絵の調和に憧れ私もドイツでは大理石をよく愛した。(日本ではなかなかそれに合ったコーディネートができないのが悲しい・・・天井が低い・・・)
クリムトもきっと自由恋愛主義者だったはずだ。芸術はある意味、性を超えている?のだと思う。
自然と人間がテーマになったとき、すべて自由になるのが理解できる気もする。