レオナルド・マルツァガリア氏 (Leonarudo Marzagalia) をお招きして、9月30日来年のアイーダ公演協賛コンサーとして
ディナーコンサートを開催。
開演一時間前頃、そうです。やはり母は早かった・・・
母の幼いころからの仲の良かった山本幸三氏
幸三さん!盛大なブラヴォ~コール!ありがとうございました!!
・・・・・・・
マルツァガリア氏と始めて共演させていただいたのは2010年1月。もうすぐ3年目になる。今回で3度目の共演となった。
私がドイツから帰国して音楽活動を再開したのが2009年11月。帰国直後ということになる。
2010年、地元のニューイヤーガラコンが初共演だった。
当時彼に伴奏をしていただいた時、(正直言って、ヨーロッパに11年居た私にとっては?)特別なピアニストとして感じた印象はあまりなかったように思う。
それどころか、楽譜と違う事を弾く事にすごく違和感を覚えたものだ。
でも、よく考えると、オペラフルスコアをピアノスコアに書き換えるというのもかなりの無理がある話しだ。誰かが書き直してるわけだし。
別の言い方をすれば、例えばマルツァガリア氏がオケからピアノスコアを作ってそれが世に出ていれば、それと違うことを弾く人だって出てくると言うことだ(笑)
ピアノ譜というのは和声こそは正しいが、オリジナルより音が多すぎたり、少なすぎたり!?
とにかく、今回は大ホールでなく、サロンだったので、より彼の音楽の魅力に直接触れる事ができた。
日本で活動を再開してかれこれ3年の私であるが、今回のマルツァガリア氏との演奏は非常に感慨深いものであった。
彼の音色は新鮮で、豊かで、やさしく、悲しい、痛くて、爽やかで、躍動感あって、そして、憐み深かった。
そして、私の好みのピアニストであることに気がついた点が一つ。
大学時代から大学院までの間と、ドイツで伴奏をずっとしていただいていたピアニスト、は二人とも作曲家だったということ。この二人に共通する点は、ピアノの音高やテクニックにこだわり過ぎないと言うことだ。
そして、マルツァガリア氏も作曲家である。
あ、、、後もう一人、作曲家達の様な感覚の持ち主であるピアニストもいる。だが彼は本職ピアニストなので、これらに加えてピアノテクニックが充実しているわけだ。
彼らが掴んでいる音楽の形は、共通していた。ピアノという1楽器の型を破り、ピアノを大きな音のエネルギーの手段として使う。
彼らの頭の中には常にオーケストラが鳴り響いているわけだ。鍵盤一つ一つが楽器、そして、弾き手は、指揮者。というわけだ。
だからそのピアノ伴奏に導かれて歌うというのは200人のオケのメンバーの前に立つ指揮者との共演と同じ。
ただ私の後ろにいて、羽のついた黒い塊となって存在しているわけだ。
そう。もちろんピアノは全開
全開のピアノで歌の伴奏するにはどれだけのテクニックと感覚が必要か、ということだが、
まず、オーケストラで言うと第2ヴァイオリンの部分。これがメロディーの中の中間音として確実に聴こえながらピアニッシモで鳴っている。
そして第1ヴァイオリンでテーマを演奏するべきところは、右手で巧みなレガート奏法が用いられる。
なんとも豊かな。
これは今私がまさに勉強中のベルカントの声で音と音をレガートにつなげるのと非常に似ていた。
そして時折顔を出す管楽器のソロ、時にはフルート、時にはホルン、時にはトランペット。それぞれ違った音色で登場する。
凄いとしか言いようがない
平らなこの鍵盤でどうやってその立体感を表現しているのだろう。
特にピアニッシモの音色はすばらしく、歌の合間に入ってくるキザとも言えるお洒落なアルべジオ。
すごいセンスだ。
ここに超えられない国境を感じる。
これは歌でもそうだ。いくらやっても超えられそうにない。出来る事はそこへ出来るだけ近づく、だけ。
その声質やポジション。び~ん!と鼻にあたってそこから離れないままピアニッシモやフォルテ、低い音から高い音まで鳴らす。
きっとピアノでも同じようなことなんだろうな、なんというか、
「澄んだイタリアの音」 ・・・
なのだと思う。掴み取れそうな澄んだ音色。そのクリアーな音のまま、いろんなシチュエーションに合わせて七変化していく。ホントに歌と同じだと感じた。
合わせたのは本番当日、始まる前に一回だけ。
リハーサルというのは、
「演奏者同士が お互いの心をちらっと開けてみる時間」
こんにちは~・・・入っていいですか~?って(笑)
土足で立ち入らないように、靴を脱いで、あ、外国では靴のままなので、靴の泥を玄関口で落とす時間、とでもいいましょうか(笑)
これが、共演者の
「見えないもの」=「感性」に触れ合う第一歩なのだ。
そして、本番でそれがどれだけ密接につながることができるのか。
本番前。やや垢ぬけない顔つきの二人であります・・・
(普通は、本番後に写真をとると言う話もある、)
そして、「音」を「楽」しむ その空間には、
まさに音楽の天使が舞い降りたのだ。
演奏曲目は
ロミオとジュリエット「わたしは夢に生きたいの」
これは中間部の間奏の躍動感が最高だった。
そして、ブレスのタイミングがドンピシャ。
私の身体の中の息の流れ道が完全にみえている。
二曲目の前奏。
歌より素敵に歌ってくれるピアノ。
とても心地よく、私は音楽の中へと誘われた。
説明とこの曲を選んだエピソードをしゃべっています。
メロディーをピアノソロで弾く部分をつくり、本番直前に打ち合わせる。
こんなことが本番の前に出来ちゃうところが素敵なんですよ。
堅苦しくなく、楽しむことのできる感性。
ルサルカで歌のテーマを彼のソロでダイナミックに演奏してもらい、それを受け継いだ私。
よし!そう来るなら、こういくわよ!
とフェルマ―タで高音を伸ばす。
そして次へフォルテで流れてみた。
ははは、ついてくる!かっこいい!!!
しかもその後の間奏は私が思った通りのピアニッシモ。
キャ~楽しい!!!
しばらく忘れていた、こういうピアニストとの駆け引き。
数年の間に、私の感覚はずいぶん鈍っており、それをとり戻したいかの様に、ステージでその瞬間をたのしんでいる自分がいた。
昔はよく、100%信頼できるピアニストとは本番のステージで、それをやってお互いに楽しんだものだ。基本あってのアレンジだから、ある程度、お互いの音楽性を確認してからでないと
危険な遊びであります。
彼のフォルテがどれだけ大きくてもうるさくない理由。音の透明感と全部の音が大きいのではなく、大きくあるべき音の旋律だけが大きいから。10本の指全部が大きな音になったら、全開のピアノのまえではとてもではないが歌えない。
当然だろ~ってことでしょうが、紙一面真黒の音符♪が並ぶのを見ながら、それを瞬時に感じるのはやはり頭の中が柔軟でないとならないし、出来る人は少ないのだと思う。
休憩後は マルツァガリア氏の自作のピアノ曲。ソロ3曲
なんと!!
イタリア人の繊細な部分を垣間見てしまった。うそ!!こんなのなの!?_イタリア人って!!!
そう言えばイタリア語の先生が言っていた。実はイタリア人は日本人以上にナイーブでシャイで傷つきやすいんだと。
まさにそれが証明されたピアノ曲だった。
そんなこんなで第3部のアイーダのアリアショー(笑)へと流れる。
きっつ!!
いや~アイーダってのは誠にしんどいオペラであります。
こんなのまともに歌ってたら死んじゃう~!
いかに自己コントロールするかの勉強だ。
蓮井先生がプロローグで話されたことに説得力があった。
アイーダ公演は完成された歌劇場歌手が外国からやってくるものではない、我々が作りだすもの、そして、この公演を通して次へと大きく飛躍するために与えられているチャンスだと。皆さま応援してやってください。といったご挨拶をして下さった。
そして、今回のシェフソムリエ登場。
彼は、リハーサル中にこの扉の奥のお部屋で・・・何やらごそごそしていた
気になる・・・開いた時に入ってみた^^;
そうです。今日のお料理のために数時間前から、ワインを抜栓。
今回のワインはかなりグレードが上がり、1500円のウエルカムドリンクに始まりソムリエの説明に続き3500~5000以上のワインが出たそうです。
本番後に、私たちも、年代を追って飲み比べさせていただきました・・・
本日のメニューはこちら。
ローストビーフもとても美味しかった♡
私たちのには、すでにゆず胡椒ソースがなくなっていたのが残念だった・・・
母曰く絶品だったとか^0^
そして、現在、「イタリアものとは、こうやるんだ!」と、こってりドイツものの私に一生懸命教えて下さっている蓮井先生。こちらができるから,
こちらができない。ではなくそれぞれを両方別ものとして習得しなくてはならない!!!と思ってはいるのだが、、、^^; 難しい・・・
テノール藤田君と。
この度のアイーダ公演に向けての協賛事業をおこなってくださった
PJワインセラーのオーナー林さんをお呼びして。
マルツァと、ハグっ!
本番は無事に終了☆ 今日の出演者一同☆