2013年3月13日水曜日

北九州市制50周年オペラ「アイーダ」公演における舞台裏⑥

~<アイーダ舞台裏・第6弾>~

何だかんだ言いながら、ミラノから帰ってきたら、あっという間に11月後半でした。

12月から念入りに演出稽古がスタートする。模索に模索を重ねミラノまで行った「アイーダを歌うための」声作り。

頭の中をわけのわからない日程の数字がぐるぐると回る。
実は、数学は得意とは言えないが、こういう計算は結構

「瞬間にできるという、得意技」

を持っていたりする(笑)

①アリアを美しく歌う状態で構えてても無理だ。

②他のオペラを一本通すのとは全く違う。

③中途半端な発声だとつぶれる。

④井原先生の演出を体に入れた後必要な音楽の再確認。

ここまでを準備してからアジマン氏を迎え入れなければならない。  

アジマン氏の音楽稽古の日程から逆算する。

そしてアクシデント続出。ラダメス役の森岡謙一の体調不良、稽古中、ダブルキャストのアイーダさんが体調不良で年内入院。

私がアイーダ・ダブル分練習にでる。歌って動いて(自分のためでもあるので)やっていたが本番までに「音声障害状態」を3度ほど経験。原因は?

全てをやり終えた今、その理由が少し解明された。

「腹筋の使い方」が問題であっただろう。腹筋腹筋と私たちはいとも簡単に言うが、これが一番問題なのだ。

この役の難しいところは低音から高音までが自由自在に同じ響きでそしてピアノとフォルテが一拍ごと交互に出来ないといけない。これを可能にするのは腹筋と息の使い方これがなんとなく掴めてきたのがなんと本番二日前のゲネプロの時だった。

さて、2月中旬本番約2週間前。マエストロ・アジマン氏が来日。音楽稽古がスタートする。

この頃はまだ、喉が長時間の練習に敏感に反応し、2日フルで通して歌って、翌日から疲れてくる、の繰り返し。

試行錯誤の末、喉の安定を確信する。よかった。。。本番になんとか間に合った。

そして本番。

直前の変な流行りの風邪で、まさかの高熱後遺症で翌日声がでない

かなり焦りましたが何とか無事に終えることができました。



マエストロ・ダニエーレ・アジマン氏

ランフィス・岩本貴文氏

何と言っても貴重なこの方。「この役にはこの声」。と言われるドラマティックなテナー森岡謙一先生。
ラダメス・森岡謙一氏

アムネリス・ラウラ・ブリオリ

「アイーダは持ち役ですか」

この言葉を頂いた時の嬉しかったこと・・・

このオペラを通して学んだことは数えきれない。

一言で言うと「感謝」以外の何ものでもない。

支えてくれた家族。ひっぱてくれた指導者への感謝。
これを通して出逢った人々。

そして、

自己嫌悪。

すべては今生に与えられた課題。

ドイツ歌曲を愛して、オラトリオの魅力に魅せられ、「声がない」劣等感と戦ってきた長い年月。

私は北九州で合唱を学び、京都で声楽を学び、ドイツ・オーストリアで歌心を学び、そして今また北九州で声を磨く事に出逢い、これで一周?いえ、そして今まさに、二周目が回り始めているそしてベルカント唱法を近くで触れ、オペラの歌い方を学び始める。

それぞれにその時自分に必要な師に出逢い そして今日がある。

不思議だな、円を描くように丸で繋がっている

そしてこの学んできた過程は決して順番ぬかしはできず、私の人生には、こうでないといけなかったんだと思っている。

ドイツに行ったからこそ、神様から授かったかけがえのないエンジェル達・・・。

人生息を引き取るまで勉強だな。とそう実感した今回の公演だった。これから私の勉強ははじまる。

こんなものがyoutubeで発見されました・・・
 
さて、

4月13日のコンサートのチラシができましたよ。
こちらです^0^


あ、その前にこちらも楽しいですよ!