2013年3月1日金曜日

北九州市制50周年オペラ「アイーダ」公演における舞台裏①

2011年夏。

もうすぐヴェルディ生誕200年だな~・・・。ちょうどグランドオペラの年やな~
(我が北九州シティオペラはガラコンとグランドオペラが隔年で行われている)

ヴェルディものやるかな~・・・「アイーダ」・・・これはもう10年ほど前にやったし・・・ 
オテロ・・・、ドン・カルロ・・・椿姫はやったばかりだし???

こんな話をいつかの帰りに、シティオペラ幹部の方とお話したものだった。

そして、その数ヶ月後、2011年9月。

演目は「アイーダ」に決定した、

との話を聞く。ドイツ歌曲やオラトリオ、教会音楽を中心に学んできた私には本来オペラ自体あまり縁のないものだった。もちろんオペラの舞台は何度か踏んでいるが・・・

中でも、とりわけこの「アイーダ」なんてのは私には「生涯無縁なもの
と思っていた作品であった。そして、「そうなんですね~~~じゃ私はこの企画には乗れないな・・・」と、ちょっぴり残念な気持ちでいたのを思いだす。

同じく9月か10月

「・・・ま、オーディション受けるだけ受けてみたらどぉかな?」

この言葉がなかったら私は確実に受けていなかったな~。この言葉は結構私にチャレンジ精神を与えたのだ。その瞬間、私の中でのアイーダは「無縁ではない」ものになった。

それからアイーダのスコアを購入。普通ソプラノの名アリアは大抵歌ったことがあるのだかアイーダは一度もない。それほど程、縁遠かったのです。スコアを10月に購入。オーディションまで約2~3ヶ月あるので、出来るかどうか試してみよう。ざっと通して一冊歌ってみた。それから、音取りが終わると、通してスコアを全部歌ってみた。それを数日続けて、決めた。

「オーディション受ける」

思ったほどかけ離れたものでもない作品だなと実感。これが第一印象。そして、 なんと

オーディションが1月13日!

私の誕生日ではないか。

 なんだかこれも凄いエネルギーで引っ張られているような感覚がありました。

そして、いよいよオーディションの日1月13日。オーディション2日前にアリアの他にアムネリスとの二重唱も審査される、と聞き、慌てて暗譜しました・・・。 指揮者のアジマン氏を含めこわ~いメンバーが審査席に座っている・・・緊張・・緊張><!ひえ~~~

そしてその翌日。14日。
アイーダに決定したとの連絡を受ける。

信じられない事だった。 もう一人のアイーダが決まるのに数週間かかり、早く公的書類が欲しかった私は、このまま変更されない事を確認して、譜読み作業に取り掛かった。それが2月中旬だっただろうか・・・

こうして
アイーダへの道のりが私の誕生日を持って、スタート☆
したのです。

4月頃、ミラノ研修の話がでる。本場で勉強。当然大切である。
しかし、イタリアだって行けばいいってもんじゃない。行ったって何も勉強出来なかったら何年いても同じ。
今回はどこで何を学ぶかしっかり決めた上での海外研修。さて!ということでそれに向けて

イタリア語レッスン開始~

2012年4月、アイーダ実行委員会の懇親会にて
アムネリス役に決まった八木さんも大阪から駆けつけた。
ご覧の通り、アイーダを勉強する前の顔の二人^_^;。
こちら勉強後の二人.。少しは成長したかな~^^;

(23日)アイーダ:白川深雪
 (24日)アムネリス:「八木 寿子」
遡れば
 去年6月にこの小さなアイーダの舞台模型を見せて頂き、
 期待と不安な気持ちでいっぱいだった。・・・というか、まだその感覚と意識は全く抽象的でしかなかった。

そしてその約8カ月後、本番前に同じ舞台が2000人のソレイユホールの舞台に出来上がった。
 リハーサルでの舞台風景

 

2012年6月☆
シティオペラ後援会で支えて下さって、母の幼馴染でもある山本幸三氏に「頑張ってね!」と励ましの言葉を頂く。

そして、2月24日☆公演終了レセプションにて、お忙しい中、幸三氏は23日公演にお越しくださり、「大変素晴らしい公演だった!」と絶賛してくださいました。

さて、ミラノでの研修報告や、衣装合わせをした「ミラノ・フィオーレ社」についての日記とヴェルディ音楽院での指揮者アジマン氏のレッスン室における特訓模様など、はパート②以降でお伝えしたいと思います。

今日はここまでで一旦終了です♪^0^