へ~~~やっぱりいるんですね。本当に。
私の身近にも何人もの人が、亡くなった方とお話を出来るという方がいらっしゃいます。
すごいですよね。私はそういう人たちは特殊才能を持ってる方たちだと思います。
音楽関係者の中にもたくさんいます。
よく知っている演出家の方は亡くなられる方の顔が見えなくなるとか。いくら目をこすっても顔が見えない・・・らしいです。そうなったら、その方とはもう二度と会われないとか。
6月初旬に祖母が他界して、その亡くなった祖母を訪ねてくれた知人がいます。彼女がいうには、
祖母のセレモニーで私が歌った弔歌がさみしすぎた、とおばあさまがおっしゃってたわよ。って。
驚きです。
その知人は私が何を歌ったか知らないのに。
でもその歌は歌人としてたくさんの歌を書いた祖母の作ったものだったし、是非歌いたかったから。
大学院を出たばかりの頃だったかな?作曲家松園洋二氏に依頼して曲を作ってもらいました。
そうか~~~おばあちゃん、聴いてくれてたのね!!届いてよかった。
なんだか、とても嬉しかった。
もう直、49日なので今度は同じく祖母の作った歌の中で明るい曲を歌うことにしました。
今度は「野の川に」を歌うから聴いていてね。
野の川に 春の射りつ陽 輝きて
心弾めり たまゆらの 幸
玉響の幸・・・なんと美しく芸術的感性の高い、表現だろうか。
この響きをとても気に入って作曲を依頼しました。
果たして、これ以上の表現があろうか、と言えるほど素晴らしいメロディー。この「たまゆら」の部分に、
きらきら・・・と光っている瞬間を音にして表わしてくれました。
ここで音を聴かせられないのが残念ですが・・・
楽譜のご紹介をしますので是非演奏されてみてください。
かなり高度なピアノのテクニックをお持ちの作曲家なので、伴奏がなんとも素敵。
後期ロマン派、R・シュトラウス的かな?ピアノ伴奏者にはかなりのセンスと技術が要求されます。
私は肉体は滅びても、精神が生き続ける場所がきっと存在するのだと思います。
それを天国といっているのか、何なのかは知りませんが。
確実に他の次元が存在していると思います。
私もこの肉体が滅びたら今の「私」という形がなくなって白い光の塊になって別の世界に生きるのだと思っています。でも私たちの魂は何のためにこうやって数十年という間、人間の肉体を与えられるのか、分かりませんが。
この身体でしか体験できない何か課題があって、それを克服すべく努力し、そしてまた時期が来て滅び、また他の身体となって続きを生きるのだろう。
今生で巡り逢う人は必ず自分と関係のある人物だと、様々な学者が唱えます。
地球上にどれだけの人間が存在するか、そして、その中のわずか数百人、数千人の人としか知りあわない。その人達は遠い前世で自分の親、兄弟姉妹、夫婦、恋人、子供達であった可能性が高いという。
今、夫婦となっている相手が以前は恋人だったのかもしれない。兄弟だったのかもしれない。
そして、今生で家族である人の魂と、次に生まれ変わるときは、夫婦同士となるのかもしれない。
「~出逢いは全て必然である~ 佐々木絶学軒 」
そう思うと今の私が出逢っている人達は、かけがえのない大事な人だちだから、大切にしなければならない。
なんて、いろいろ考えたりしますね。
それにしても蒸し暑いです今日も。