2012年7月5日木曜日

気がつけば24年・・・でした。

びっくりしました。最後にここに来たのが24年も前だったなんて!
懐かしの「ロウ講堂」。今年で我が母校は創立90周年。


12歳から18歳まで毎日朝の礼拝をしたこの場所。
当時の香りがそのまま。

す~っとタイムスリップした。

今日はここ西南女学院・中学高校の礼拝堂で、卒業生として、証しをさせて頂いた。





今朝7時40分。西南女学院の事務室に着く。

10分くらいすると事務長が来られ、 応接に案内された。

そこで今日ピアノを弾いて下さる為頼先生を待つ。

 問題は朝8時からオペラ「ワリ―」よりアリアを歌うということ!?

ピアノを弾いて下さった高校時代の音楽の先生、今もその時と全く変わらず、何十年ぶりに会うのに、昨日、音楽の授業で会ったばかりかのように挨拶をして下さった。

私は久しぶりにお会いできた感動で、大~きく息を吸い込み、

「先生!ご無沙汰しております~!!」

と言うつもりだった。

すると、先生、私がまさに息を吸い込んだタイミングに、
 
「ごめんね~上手く弾けんのよ~。
さぁ、お手洗い行って!そろそろ行こっか!」

と、いきなりロウ講堂へすたすたと・・・

「あ、、、はい・・・」

なんだか先生のリアクションが新鮮で、凄く嬉しかった。
 
 私がまだドイツに居るころ、ここ「ロウ講堂」は、話題になっていたらしい。知らなかった。

以下 新聞記事の紹介。

 「西南女学院中学・高校の講堂で、使われなくなっていた地下室が見つかり、戦時中の遺物

が多く残されていたことがわかった。同校を接収した旧日本陸軍が倉庫に利用したらしく、当

時の 部隊名が書かれた小包の包装紙、戦意高揚の記事が踊る新聞や雑誌の紙片などが

散乱していた。」

 「遺物が見つかったのは、校内南側の小高い丘にあり、同校創立者のJ・H・ロウの名を冠


した 『ロウ講堂』。

 ステージの床下に広さ20平方メートル、高さ5メートルほどの地下室があることが確認された。

  地下室がいつごろ造られたのかはわかっていないが、兵士が使ったとみられる水筒や空


き瓶が出てきた。さらに今年7月、落ちていた紙片などを調べたところ、戦時中のものが多く

含まれていることがわかった。」     朝日新聞 35面

以下こちらのサイトにも続く

http://www.seinan-jogakuin.jp/htdocs/html/sinbun/rowekodo.htm


私たちが学生の頃、ロウ講堂の「七不思議」という怪奇現象で良く盛り上がったもの。
それらにもなんだか関係がありそうな記事だ。確かにここは独特な雰囲気はある。入った瞬間独特の空気というか。

地下にはいろんな戦時中の歴史が埋まっているわけだからね・・・

・・・ということで

とにかく、今日はここで歌を挟みながら、いろんな話をさせて頂いた。

高3の8月中旬に,進路決定最終時期、英文科志望だった私はいきなり進路変更で、京都芸大を希望することに決めた事。受験を決めた後、声楽を習う為北九州の声楽家の先生たちを探したら、見事に、ことごとく断られたこと。

歌も聞く前に。顔もみずに!全く失礼なお話だわっ!せめて話くらい訊いてくれたっていいじゃない!?

 「半年前から京都芸大を受験する世間知らずはどこのだれ!?落ちると分かっている人は、私は教えないわ。」

ということだった^^; 今となってはどうでもいい話だけど、よくもまぁ、そんなことをいう方がいらっしゃるものですね(笑)逆に言うと、そんな先生につかなくて本っとに良かった。今はその先生方が断ってくれたことに感謝している。

そして、大学へ入って、卒業するまでの話、大学院へ行った時の話、そしてドイツへ行った時へ話がいったところで時間。

人より頭が2つ3つ出たくらいではすぐに潰される、でも頭が5つ出たときもう人は潰さなくなる!

こういってくれた京都芸大の打楽器の先生の言葉を引用させていただいた。
 
こういった話の合間にドイツ歌曲と オペラアリアを入れ、

終わった後は ドレスはびっしょりでした。30分間どれだけ 集中したことでしょう・・・(笑)

印象は生徒たちの半分以上は興味深く聞いていた。

それより先生方がぶんぶん頭をふって話を聞いてくださっていたことが嬉しかった。

そして何より一番気になったのは、話している間じゅう、一匹の

「蚊」

が、私の手にとまることでした。普段なら、とまった瞬間叩くのですが、さすがにこの場では・・・^^;ただただ血を吸われるのを見ながら我慢する拷問の時間であったわけです・・・─(´△`;)─

とは言え、

呼んで下さった母校に感謝!!です!!