主人が職場である方と知り合った。その方は神社の方と言う。
パンフレット家に持って帰る・・・
「あ”!!」
私たちが結婚式を挙げた神社!!??
今から15年前。北九州市八幡にある高見神社で結婚した私たち。
なんとその高見神社の神主さんご夫婦だったのだ。
私たちの式をあげてくださったのは今の神職さんのお父様だったそうだ。ちょうどこの直後にご子息でらっしゃるこの方に引き継がれたとか。
主人は、奥様(左)と勤務先の学校で知り合ったわけです!
そして、先日の黒崎ひびしんホールの第9に来てくださいました。
何と言う偶然でしょう!!嬉しい限り、ご縁を大切にしたいと思います。
左上が神主さん。
忘れもしない。当時15年前。
結婚式の前日、結婚相手を初めて見た両親。
結婚したい人がいる。どうしてもその人と結婚したい。外国に居る娘にそんなことをいきなり電話で告げられる両親の気持ち、今自分が娘を持って初めてわかったけれど、心配だったと思う。
どこの誰だか、異文化の国の人、娘は騙されるかもしれない、幸せになるとは信じ難い。
主人の両親についても説明。でもそれも本当かどうか調べる術もない。
よく考えると、あの状況でよく承諾してくれたと感謝している。
最後は「娘を信じる」の一言だった。
もちろん、当時はパソコンはまだそれほど普及していなくて、メールなんてない。
どんな人物かは国際電話で説明していたが、電話代がかさみ、FAXでエンドレスにやりとりをした。
両親の「断固反対」を「賛成」に変えるにはただならぬ根気が必要だった。
主人は私の両親あてに長い手紙を書き、私はそれを訳し、それを添えて郵送したり・・・。
そう言うやり取りが続きやっと、結婚までたどりつく。
知り合って結婚を決めるまでに10日ほどしかかからなかった私たちだが、両親説得には1ヶ月ほどかかった。 結局8月半ばに知り合った主人との挙式は、日本へ帰国するタイミングもはかり、その2カ月後の10月だった。
この高見神社で。
思い出の高見神社
(高見神社さんのサイトからの写真)
式が挙がる30分前。両親をお堂の裏へ呼び出す主人・・・
ドイツで何百回と練習した「お父さん、お母さん、娘さんをください!必ず!幸せにします」
この文句 ・・・ いつ、言おう…???心臓バクバク な様子だった。
言えるかな…ぶつぶつ言っていた
挙式まで時間はほとんどない状態
確か、この「神殿楽」とよばれる建物のそばだった気がする・・・
そしていざ!
案の定、緊張しまくった主人は練習の成果はいずこへ。状態。
空中分解~あははやっぱり・・・
しどろもどろも、いいとこ。横で私が助け船を出すという始末。
「おと・おと・おと・・・・おとうさん、と始まり、顔は・・・真っ赤っか^^; もともと緊張して上がるタイプの主人はもうこの時は緊張度マックスっだったようだ。しかも言葉はまだ話せない「日本語」ときていた。
娘さま、娘さまと私に「様」をつけまくる(笑)そしてなんとか.「・・・下さい・・・。。。」までたどりつき、
挙式も寸前、ちょっとどちらへいかれているんですか、と追いかけて来られた係りの方のところへ。
やっとこ、言えた両親へのあいさつ。胸をなでおろし挙式へ。
結婚する日に両親に挨拶しても(笑)、「ノ―」はないけど、でもこの言葉は日本人の奥さんをもらう為に日本語で必ず言いたかったという主人。
私たちを結んでくれた高見神社、15年後に再びご縁を頂いたことに感謝。