「世の中はかわりゆくともうつし身は輪廻に生きて春まためぐる」~春ふたたび~より
この詩に作曲家、松園洋二氏が作曲してくださったのは、今から16年ほど前になる。(「松園洋二 歌曲集」カワイ出版)
印象派を思わせるパステルカラーの色合いの中に輪廻に生きる人間の不安さや孤独さが現れている曲だ。快く依頼を引き受けてくれた彼に感謝している。
短歌を愛した祖母は現在99歳。彼女の自費出版したこの歌集には彼女の人生が書き綴られている。
たった今連絡が入り、危篤状態だという。今は持ち直して少し落ち着いているので心配するなと伯父。
明朝すぐに山口へ向かうつもりだ。
私は3歳になる前、祖母と二人で暮らした時期がある。生まれたばかりの妹が病気で長期入院し、両親は妹の看病で病院に長い期間泊まり込みだった。その間私は祖母のところへ預けられたのだ。
その頃のたくさんの写真があるので後に見たその写真のお陰で良く覚えているというのもあるが、写真にはないいろいろな場面もよく思い出される。
とにかくきれい好きな祖母は一日に何度も居間の掃除をしていた。私は祖母がソファーカバーをきれいに外してぱたぱたと埃を落とし、また丁寧にかけているのを手伝っていた。拭き掃除をしている時の様子、その時窓から差し込んでいた太陽の光、カーテンの具合、本当によく覚えている。
祖母が詩歌を詠む会に行く時は私も付いていきその時は「お絵かきセット」を持参し何時間でもずっと何かを描いていたそうだ。絵を描くことほど苦手なもののない私が、その時何を描いて何時間も過ごしていたのかとても興味がある。
時間を巻き戻して見てみたい。
そう、その祖母が酸素吸入している。。。
とりたてて病気もなく、頭もしっかりしているが数ヶ月前から食事がとれず重湯しか口にできていないそうだ。お正月に会った時は力はないにしても元気そうだったが。この寒さがこたえているのかもしれない。
祖母は会いに行くたび言う。
「死にたくても死ねない。身体は動かず、本も読めない、目は悪くTVも観る気が全くしない。世の中のことに興味もなく、気がかりは親戚一同の健康だけ。食事も一人でできず、何のためにベッドに横たわっているのかわからない。身体のあちこちは痛いし、手足は骨と皮。日に日に息苦しくなり、なぜ神様は私を死なせてくれないのか」
と。
その言葉を聞く度に何と答えていいのか分からず、
「おばあちゃん、頑張って、もうすぐ100歳よ。すごいじゃない。100年もこの世を見れて、ほら、ひ孫がたくさんでしょ。おばあちゃんなしでは存在していない生命よ。」
とありきたりのことだけしか言えない私。
だけど、100歳でも自由に動けて、食べたいものを食べれて、大好きな歌も書けているのならいい。
何もできずにただ横になり、衰えていくのを待たねばならないなんて残酷すぎる。
「はやく楽になりたい」行くたびにそう言う祖母のか細い声を聞くと胸を締め付けられる思いだ。
人の人生は神様が決めている。
その人が生きているのには必ずその意味があり、いつまでこの世にいて、いつからあの世に移るべきなのか、そのすべてはひとそれぞれの宿命にあると思う。
そもそも生まれてきたこと自体自分の意志ではないのだから、
死を迎える時も自分の意思ではどうにもならないものだ。
花が咲いて枯れる様に、人も花よりは少し長い時間を生きられるだけで後は何も変わりはしない。子孫を残すことは花にもできる。
死んでしまってはこの世であったことは全て無意味な事になるのだろうか。
肉体は滅びてもこんなにいろんなことを考えてきたこの魂はどこかに存在するのではないかと思う。
死後の世界を訪れたことある人が、死にそこなってこの世に戻ってきたとき、みな同じことを言うらしい。
自分と言う姿はなく、手も足も見えない。ただ自分が真っ白な光の塊りになっていることは実感できるそうだ。光になっているという実感はあるが喋ったり何かを触ったりはできないらしい。
だがそこには確実に「自分」がいるとか。
死にそこなった人たちは何らかの事情で肉体に戻ることを選択肢として与えられ、肉体に戻りたいと意識した人達らしい。
そうすると息を吹き返したり、止まった心臓がまた脈打ち始めたり、、、するそうな。
その時にもう十分だ、もう死なせてくれ、と願えばあの世へ、光となって永遠を生きる世界へ旅することになるのかもしれない。