心配した祖母の容態は思いのほかよく、酸素マスクは外せないものの、会話ができた。
レントゲンの結果右の肺にかなり水がたまっているとのこと。それが原因で呼吸困難に陥り、たまたま様子を見に来てくれた介護の方が真っ青になっている祖母を発見。
すでに意識はなかったそうだ。
それから早急な処置のお陰で意識を取り戻し、一命を取り留め、今は点滴で回復に向かっている。
昨日は丸一日、祖母のそばにいた。
傍にいて時々手を握ってあげると安心した顔をする。
伯父や伯母も来ていて、母と私と4人でがやがや賑やかな病室だった。
しばらくすると伯父と伯母は帰り、母と私だけ残った。
私は用意していた楽譜を開いて勉強しながら時間をつぶし、祖母が咳きこむと痰をとるのを手伝った。
「あら、みゆきちゃん、まだおったんかね・・・」
と、ひと眠りしている間に、皆帰ってしまったと思っていたのが、まだ居たことを知り嬉しそうな表情。
今日は夕食までいるから、点滴しながら少しご飯たべてみようね。
そういうとコクリとうなづく。
まだとてもではないけど食事ができる状態じゃないし、よほど患者さんが要求した時のみ、重湯をだします。と担当医。
祖母に聞くと、夕食を食べたいという。
今何が一番食べたい?と聞くと
「元気になって水餃子を食べたい」
水餃子!!びっくりだ。
じゃぁ早く元気になって水餃子たべようね。
看護婦さんに重湯の準備をお願いする。
それから2時間ほどして夕食の時間がきた。
食べられるだけでいいからね。と看護婦さんが持ってきて下さったのは、重湯と魚のすり身、お芋と海藻をつぶしたようなものと、ブロッコリーのように見える野菜のペースト状のもの。
食べさせてあげながら思い出した。
私が小学生の頃、風邪で寝込んでいたら、私の枕元に祖母が来て、こうやって食べさせてくれていたな~。
それに成長期だからか?関節がよく痛んだ、その時もいつも祖母がマッサージしてくれた。
そんなことを思いながら食べさせていたのだが、[うそ!!]
すごいたべっぷり。。。嘘のように食べあげていくではないか。まさかの完食だ。
私は嬉しくて、大きな声で言った。
「これだけ食べれたら絶対大丈夫よ!溜まった肺の水もきっとお薬がよく効いて治るから!」
丸い一日点滴してただけだから、お腹すいていたんだ~~~
食事が終わって片付けているとサイドテーブルから祖母の直筆の歌が何枚か出てきた。
年末気分のいい時に書いたそうだ。
これらの歌は祖母自身で手書きされていて平仮名はよく読み取れないものもあり、看護婦さんが書いてくれたらしきもので毛筆で清書されているものがあった。
二句。
「故郷(ふるさと)に 我を救えし 亡き母の
御霊(みたま)は 今日を 何と見るらむ」
(最近の祖母はよく母親を想うらしい。)
若かりし自分をいつも助けてくれた母よ、私のこんな姿をみて、霊となったあなたは私の今の日々をどう見てるのかしら。
「故郷」を「ふる里」と書かれてあり、それを訂正せよと。
今日を「今」としたら?と言う母にそれはだめだ!現在となるから。「日々という意味」で今日にしている。
と。すごい、それにしてもまだまだ脳はしっかり働いている。
なるほど、私がいつも使っている「今日」Today という意味とは違う。漢字本来の意味に深く関わっている。
酸素マスクを通してのか細い声、何度も聞き返してやっと理解できるほどだったが相変わらず言っていることは厳しい(笑)。
もうひとつは
「光射す この世のくらし さそわるも
わが現身(うつしみ)は 夢中と遊ぶ」
(これは年末のある明るい陽の射す日、書いた歌だそうだ)
病室を射す明るい陽ざしが私を日々の生活へと誘ってはくれるが、私自身はいつも夢の中で遊んでいる
という意味。
それから「誘わる」をひらがなにせよ、と。
こまかなニュアンスが変わってくるらしい。訂正しているうちに新たな案が浮かんで来たのか、「夢中と遊ぶ」、を「一夢と遊ぶ」と変更してくれ、などと迷っていたが最終的に「夢中と」で決まった。
なるほど一夢だと一つの夢と限定される、夢中だと夢の中となる。毎日ゆめうつつなのだから一つの夢に限定はできない。
100歳を目の前にして、骨と皮だけになった細い手足と青白い肌、唇は紫色になっている。
それでもまだこんな短歌を作ることができるなんて、祖母がどれだけ歌を愛しているかが分かる。彼女の人生とは切っても切れない存在なのだろう。