2011年4月9日土曜日

桜~Sakura、~庭先春探し

2011年4月9日、まだ平和な福岡県北九州市。
満開の花に、時を忘れる。
















舞う花びらと戯れる娘たち












































































































































そして、庭先にみつけたもうひとつの4月。
まっすぐ大空を向いて。汚れない明るさ。
















土も耕さず種をばら撒いただけの大根。見事に食べられる大きさが出来た!
自然の力だけで栽培したのに甘美味しい大根ができて、感動!そしてこんな可愛い淡い紫の花をつけてくれました。






















2011年4月8日金曜日

何のために生まれてきたのか

時々考えさせられ、いつもその答えが見つからないまま忘れてしまうテーマ。

私は今なぜここに存在しているのだろうか。

この桜はなぜここで咲いているのだろうか。























10年以上京都にいたわたしはよく京都の鴨川に並ぶ桜並木をみては、

「あ~桜がやさしく笑っている。。。そよ風が心地よさそう」と言ったものだ。
枝が水面に向かって垂れているのは本当に美しかった。

あの風景を本当に恋しく思う。

同じ桜をみて

「一生懸命咲いている桜・・・」と言ったピアニストがいる。













なるほど、一生懸命咲いているように見える。か・・・

木の真下から空を見上げた時にうつる桜はその花弁を一つ一つ一生懸命開いて、頑張って咲くぞ、と踏ん張っているように見える。

何百本も並ぶ桜の木々を、川と風と一緒に観るのを歌い手の感覚とすれば、
桜の木の下へ行って、その花びらを一枚一枚みる繊細さをピアニストの感覚といえるのかも、と思った。























これらは小倉南区、仕事へ行く道中に見つけた桜。全く違う環境に育った桜たち。
なんとも可愛らしい桜色。

花の命、動物の命、人間の命、そして永遠の命(魂)

人はみな前世というものがあり、それを引き継いで今を生きている、という考え方もあれば、
ただ生物だから生まれてきたのだ。という考えもある。

私の前世を調べるとアルプスに咲く花だったと書いている本があった、かと思えば、必ずお付きの人がいた人物だった、とか外国のお姫様だったという人もいる。

そういえば私いつも、車に乗せてもらっているなぁ・・・(笑)昔は馬車だったのかしらん?

自分は何?誰?
死んでみないとわからないあの世。

ちょっと興味があったりする。今生よりも居心地がいいのだろうか。
居心地が悪い人は時々こっちへ降りてくるのだろうか。

女学院高校を卒業する時、数学の先生が宿題を出した。明日までに答えを出してきて下さい。生徒全員に問いかけた。

「あなたがたはどうして女性に生まれてきたのだと思いますか。」

数学のおばあちゃん先生から出されたその宿題は、ちょっと意外だった。

翌日、皆いろんな答えを用意して学校へ。
染色体の関係だとか、産み分けられたからだとか、神様がきめたから、だとかそう言う回答が多かったと思う。

私は何と答えたのだろうか、全く覚えていない。

覚えているのはだれ一人正解者がいなかったことと、先生の解答だ。

「あなた方は子孫を残すために女性として生まれてきたのです、この言葉を決して忘れないでください」

その言葉はとても重く、どことなく真に迫った感じだった。必死に話されていたのを覚えている。先生は独身でらしたし何か強く伝えたいものがあったのだろうと思う。

高校3年の私たちは、え~子供を産むためだけ???と反発的だった。じゃぁマシーンじゃん!なんて言っている人もいた。

だけど、今考えて見ると、それ以外の答えは見つからない。

女性の体に宿る生命。どうしてそこにその命がやどったのか。

オギャーと生まれたその時にその人の運命は決めらているそうだ。
どういう環境に生まれてきたか、何をする両親から生まれてきたか、そして、誰のうまれかわりなのか。。。

震災で壊れなかったワインのボトル、そしてその保持者である人は命を落とした。
人の命の長さは決まっているような気がする。

無差別に命を奪った震災と津波。
そして生き残った人間と壊れなかった物。

自分ではどうしようもない天のみぞ知る命がここに在る、と実感させられる。