2011年1月28日金曜日

れんげの花~ひらいたひらいた~

今度「池坊の式典」で歌わせていただくプログラムの中に華やかなオペラアリアだけでなく、「花」にちなんだ曲も数曲入れることにした。

モーツアルトのすみれ、や日本歌曲からはさくら横丁や、くちなし、他を思案中だがふと「ひらいたひらいた」を素敵にアレンジしている曲のことを思い出し、それも含めようかなど考えている。
念のためその詩を読んでいたのだが、ある疑問がわいた。

あれ?

「ひらいたひらいた 何の花がひらいた
  れんげの花がひらいた ひらいたと思ったら いつのまにか しぼんだ」

れんげの花というとすぐに田んぼに一斉に咲くあのれんげを思うが開いたりしぼんだりには何か深い意味を込めているのか。。。

「赤い靴」の女のこは実際に存在した子供で、異人さんに連れられて、とはただ単に異国人に売り飛ばされたわけではなく、詳しくは異国へは行ってなかったり、「しゃぼんだま」はまだ見ぬ子を生まれる前に亡くしてしまう母の心を歌っていたり、「はないちもんめ」は子買いがテーマだったり・・・
などこれらの昔の歌が、深い意味を込めているのと同じくこれにも深い裏が秘められているのかもしれないと思うと気になって仕方がなくなった。

れんげのは~なが・・・♪

「蓮華」そうか、ハスだ!


















「れんげの花」はハスを指し、
「れんげ草」になると田んぼのれんげを指すんだ。

と言うことに今さらながら気がついてしまった。

たしか、子供の頃、輪になって手をつないでひ~らいたひ~らいたって歌いながら回って輪を縮めたり広げたりしながら歌った記憶がある。
調べるがこれに深い意味がこめられているという情報は手に入れられなかった。
今のところそのまま、早朝に咲く蓮の花は気がついた時には咲いている、しぼむのも夕方いつの間にか見たらしぼんでいた、というそのままの意味で解釈してよさそうだ。

以前ドイツ・ブレーメンでリサイタルを開いたときこの「ひらいたひらいた」を素敵なピアノ伴奏アレンジで歌ったことがある。

その時聞きに来てくれていた某貿易会社の社長さん(日本人)が、素晴らしいコンサートだったが、ひとつだけ、「違うな~」と感じた曲がある。
と言われた。
それは

「ひらいたひらいた」だった。

え!?あの歌は気に入りませんでしたか。と聞いたら「あれは違うだろう。。。なにがどうとは私には答えられないが、違ったな~・・・」

と首をかしげながら言われた。
コンサートを聴きに来てくださった方からこのような言葉をもらうのは本当にうれしい限り。

オペラなどというソプラノコンサートを初めて聴いたと言われていたが、率直に意見を言って下さった彼は本当に素晴らしいと思う。

気入らなかった曲、を教えてもらえることはとてもプラスになる。またその理由を自分で考えろ、という課題まで(意図的ではないにしろ)残してくれた。
気になりながらも・・・
そのまま忘れていた(典型的・・・)が、

この度ふとそのことを思い出したのだ。

そういえばその時はこの「れんげの花」がどっちであろうとあまり深く考えずに歌った気がする。ドイツにいたせいか。
アンコール曲だったのもあり、テンポよく、日本らしさが出ているメロディーラインを強調することに意識しすぎていたのだろう。

今その時に歌ったときの心境を思い出すと、わくわく、ぴかぴか歌っていたような気がする。

これはわらべうたであり、ある程度のゆったりしたテンポ感が必要である。いくらピアノがきらきらしていても歌は蓮の花を思えば少しあの時とはイメージが違った歌を歌えそうな気がする。



















(行橋市南泉、亡き愛犬タロの散歩コースより)
そうこの時は夕方18時ごろ。花はしぼんでいます。。。

ちょっと気持ち悪いけど、、、蓮の花の中 (かなり気持ち悪いかも・・・)


















ここの部分はお菓子になるんです。「はすの実」~台湾土産~たまたま今日、頂きました!
すごい偶然。ちょうど蓮について考えていた日に台湾土産に蓮の実をもらうなんて・・・



















味は甘納豆のような栗のような香りが口のなかに一瞬広がる。
その後独特の後味が残るが「泥」の中に咲くこの美しい花は、この後味でもってその生い立ちを匂わせるような、そんな複雑なお菓子です。

2011年1月27日木曜日

生涯歌人

心配した祖母の容態は思いのほかよく、酸素マスクは外せないものの、会話ができた。

レントゲンの結果右の肺にかなり水がたまっているとのこと。それが原因で呼吸困難に陥り、たまたま様子を見に来てくれた介護の方が真っ青になっている祖母を発見。

すでに意識はなかったそうだ。

それから早急な処置のお陰で意識を取り戻し、一命を取り留め、今は点滴で回復に向かっている。

昨日は丸一日、祖母のそばにいた。

傍にいて時々手を握ってあげると安心した顔をする。

伯父や伯母も来ていて、母と私と4人でがやがや賑やかな病室だった。
しばらくすると伯父と伯母は帰り、母と私だけ残った。

私は用意していた楽譜を開いて勉強しながら時間をつぶし、祖母が咳きこむと痰をとるのを手伝った。

「あら、みゆきちゃん、まだおったんかね・・・」

と、ひと眠りしている間に、皆帰ってしまったと思っていたのが、まだ居たことを知り嬉しそうな表情。

今日は夕食までいるから、点滴しながら少しご飯たべてみようね。

そういうとコクリとうなづく。

まだとてもではないけど食事ができる状態じゃないし、よほど患者さんが要求した時のみ、重湯をだします。と担当医。

祖母に聞くと、夕食を食べたいという。

今何が一番食べたい?と聞くと

「元気になって水餃子を食べたい」

水餃子!!びっくりだ。
じゃぁ早く元気になって水餃子たべようね。

看護婦さんに重湯の準備をお願いする。

それから2時間ほどして夕食の時間がきた。

食べられるだけでいいからね。と看護婦さんが持ってきて下さったのは、重湯と魚のすり身、お芋と海藻をつぶしたようなものと、ブロッコリーのように見える野菜のペースト状のもの。

食べさせてあげながら思い出した。

私が小学生の頃、風邪で寝込んでいたら、私の枕元に祖母が来て、こうやって食べさせてくれていたな~。

それに成長期だからか?関節がよく痛んだ、その時もいつも祖母がマッサージしてくれた。
そんなことを思いながら食べさせていたのだが、[うそ!!]
すごいたべっぷり。。。嘘のように食べあげていくではないか。まさかの完食だ。

私は嬉しくて、大きな声で言った。
「これだけ食べれたら絶対大丈夫よ!溜まった肺の水もきっとお薬がよく効いて治るから!」

丸い一日点滴してただけだから、お腹すいていたんだ~~~

食事が終わって片付けているとサイドテーブルから祖母の直筆の歌が何枚か出てきた。

年末気分のいい時に書いたそうだ。

これらの歌は祖母自身で手書きされていて平仮名はよく読み取れないものもあり、看護婦さんが書いてくれたらしきもので毛筆で清書されているものがあった。

二句。

「故郷(ふるさと)に  我を救えし  亡き母の 
       御霊(みたま)は 今日を 何と見るらむ」


(最近の祖母はよく母親を想うらしい。)

若かりし自分をいつも助けてくれた母よ、私のこんな姿をみて、霊となったあなたは私の今の日々をどう見てるのかしら。

「故郷」を「ふる里」と書かれてあり、それを訂正せよと。
今日を「今」としたら?と言う母にそれはだめだ!現在となるから。「日々という意味」で今日にしている。
と。すごい、それにしてもまだまだ脳はしっかり働いている。

なるほど、私がいつも使っている「今日」Today という意味とは違う。漢字本来の意味に深く関わっている。

酸素マスクを通してのか細い声、何度も聞き返してやっと理解できるほどだったが相変わらず言っていることは厳しい(笑)。

もうひとつは


「光射す この世のくらし さそわるも
    わが現身(うつしみ)は 夢中と遊ぶ」


(これは年末のある明るい陽の射す日、書いた歌だそうだ)

病室を射す明るい陽ざしが私を日々の生活へと誘ってはくれるが、私自身はいつも夢の中で遊んでいる

という意味。

それから「誘わる」をひらがなにせよ、と。
こまかなニュアンスが変わってくるらしい。訂正しているうちに新たな案が浮かんで来たのか、「夢中と遊ぶ」、を「一夢と遊ぶ」と変更してくれ、などと迷っていたが最終的に「夢中と」で決まった。

なるほど一夢だと一つの夢と限定される、夢中だと夢の中となる。毎日ゆめうつつなのだから一つの夢に限定はできない。

100歳を目の前にして、骨と皮だけになった細い手足と青白い肌、唇は紫色になっている。
それでもまだこんな短歌を作ることができるなんて、祖母がどれだけ歌を愛しているかが分かる。彼女の人生とは切っても切れない存在なのだろう。

2011年1月25日火曜日

生と死

「世の中はかわりゆくともうつし身は輪廻に生きて春まためぐる」~春ふたたび~より

この詩に作曲家、松園洋二氏が作曲してくださったのは、今から16年ほど前になる。(「松園洋二 歌曲集」カワイ出版)
印象派を思わせるパステルカラーの色合いの中に輪廻に生きる人間の不安さや孤独さが現れている曲だ。快く依頼を引き受けてくれた彼に感謝している。

短歌を愛した祖母は現在99歳。彼女の自費出版したこの歌集には彼女の人生が書き綴られている。

たった今連絡が入り、危篤状態だという。今は持ち直して少し落ち着いているので心配するなと伯父。
明朝すぐに山口へ向かうつもりだ。

私は3歳になる前、祖母と二人で暮らした時期がある。生まれたばかりの妹が病気で長期入院し、両親は妹の看病で病院に長い期間泊まり込みだった。その間私は祖母のところへ預けられたのだ。

その頃のたくさんの写真があるので後に見たその写真のお陰で良く覚えているというのもあるが、写真にはないいろいろな場面もよく思い出される。

とにかくきれい好きな祖母は一日に何度も居間の掃除をしていた。私は祖母がソファーカバーをきれいに外してぱたぱたと埃を落とし、また丁寧にかけているのを手伝っていた。拭き掃除をしている時の様子、その時窓から差し込んでいた太陽の光、カーテンの具合、本当によく覚えている。

祖母が詩歌を詠む会に行く時は私も付いていきその時は「お絵かきセット」を持参し何時間でもずっと何かを描いていたそうだ。絵を描くことほど苦手なもののない私が、その時何を描いて何時間も過ごしていたのかとても興味がある。

時間を巻き戻して見てみたい。

そう、その祖母が酸素吸入している。。。

とりたてて病気もなく、頭もしっかりしているが数ヶ月前から食事がとれず重湯しか口にできていないそうだ。お正月に会った時は力はないにしても元気そうだったが。この寒さがこたえているのかもしれない。

祖母は会いに行くたび言う。

「死にたくても死ねない。身体は動かず、本も読めない、目は悪くTVも観る気が全くしない。世の中のことに興味もなく、気がかりは親戚一同の健康だけ。食事も一人でできず、何のためにベッドに横たわっているのかわからない。身体のあちこちは痛いし、手足は骨と皮。日に日に息苦しくなり、なぜ神様は私を死なせてくれないのか」

と。

その言葉を聞く度に何と答えていいのか分からず、

「おばあちゃん、頑張って、もうすぐ100歳よ。すごいじゃない。100年もこの世を見れて、ほら、ひ孫がたくさんでしょ。おばあちゃんなしでは存在していない生命よ。」

とありきたりのことだけしか言えない私。

だけど、100歳でも自由に動けて、食べたいものを食べれて、大好きな歌も書けているのならいい。

何もできずにただ横になり、衰えていくのを待たねばならないなんて残酷すぎる。

「はやく楽になりたい」行くたびにそう言う祖母のか細い声を聞くと胸を締め付けられる思いだ。

人の人生は神様が決めている。
その人が生きているのには必ずその意味があり、いつまでこの世にいて、いつからあの世に移るべきなのか、そのすべてはひとそれぞれの宿命にあると思う。

そもそも生まれてきたこと自体自分の意志ではないのだから、
死を迎える時も自分の意思ではどうにもならないものだ。

花が咲いて枯れる様に、人も花よりは少し長い時間を生きられるだけで後は何も変わりはしない。子孫を残すことは花にもできる。

死んでしまってはこの世であったことは全て無意味な事になるのだろうか。

肉体は滅びてもこんなにいろんなことを考えてきたこの魂はどこかに存在するのではないかと思う。

死後の世界を訪れたことある人が、死にそこなってこの世に戻ってきたとき、みな同じことを言うらしい。

自分と言う姿はなく、手も足も見えない。ただ自分が真っ白な光の塊りになっていることは実感できるそうだ。光になっているという実感はあるが喋ったり何かを触ったりはできないらしい。
だがそこには確実に「自分」がいるとか。

死にそこなった人たちは何らかの事情で肉体に戻ることを選択肢として与えられ、肉体に戻りたいと意識した人達らしい。

そうすると息を吹き返したり、止まった心臓がまた脈打ち始めたり、、、するそうな。

その時にもう十分だ、もう死なせてくれ、と願えばあの世へ、光となって永遠を生きる世界へ旅することになるのかもしれない。

2011年1月24日月曜日

大宰府天満宮・飛梅、蕾開く

古賀インターで
とんこつラーメン食べて、(油抜きがしっかりされてて甘めのスープで結構美味しかった!)


















(それにしても種類豊富)ドイツでどれだけ夢見たこの光景。
店頭に並ぶとんこつラーメンたち・・・


















元祖「焼き鯖寿司」を買いました、これは美味しいですよ!!
(津田にも、「しゃり工房みゆき」の焼き鯖寿司というお店があります、そこも一押し。)


















みたらし団子食べて、


















お餅食べて!
左からブルーベリー、いちご、カスタード^^












































その後ものすごい渋滞が待っているとはつゆ知らず、
大宰府天満宮へ向かった。


















今はゴッホ展が2月中旬まであるので、その関係か、皆受験のお参りか・・・

とにかく、大宰府のインターを出てから参道までが3時間半。というすごさ・・・
通常10分くらいじゃないかな?

すごい渋滞~~~!

参道はさらに人でいっぱい。



















なんでこんなに多いんだぁ!?パーキングのおじさんに聞くと、暖かくなったから、とのこと。。。すごい、
観光地にとって気温はめちゃくちゃ大事なんだなぁ。

車完全にストップしたし、途中何度も引き返そうよ、と言う話になりましたが、2月1日にお受験を控えている可愛い甥っ子のため!!何が何でもお参りしてこなきゃ!
学問の神様「大宰府」!!菅原道真公にあやかって・・・学んだことが発揮されてそして、さらに発展しますように!


















飛び交う韓国語と中国語


















中国、韓国からも大宰府までツアーで受験のお参りにきているそうな。


















ぷっくら飛梅が。


















蕾を膨らませてます。


















あっ!花開いてる!


















もちろん梅ヶ枝餅食べて


















甘酒と昆布と梅干で一息つきました


















そして家路へと。往きとは打って変ってスムーズに滑るように高速を飛ばして帰れました。
助手席専門の私ですが、助手席って結構肩こるんですよ・・・

絶対運転手さん横に眠れないんで・・・一緒に運転している気分なのです。

2011年1月22日土曜日

こんな平凡な日常生活が幸だったりして

「エンジェルII」。何やら集中してます


















「エンジェルI」 がすけっとにやってきました。


















パパとママのためにサンドイッチを作ってくれて・・・^^;


















結構無駄な切れ端がたくさん出たりして・・・
しかも、
やっぱり自分が食べて。。。


















こんな私にエンジェルを二人も授けてくれた神様に本当に感謝。
この子たちがいれば他には何もいらない。

毎週日曜日は「エンジェルI」が私たちが起きる前に起きて、朝食を準備してくれる。
出来上がった頃、起しに来てくれる。彼女が5歳の時、コーヒーを点ててくれて起してくれた日の時のサプライズを今でもよく覚えている。
エンジェルIIもお姉ちゃんに日々対抗!(笑)

さぁ明日はどんな朝食が待ってるかしら・・・^^

2011年1月21日金曜日

おぜんざいが気になって・・・

こたつに入って授業の準備。。。大丈夫火は切っています。温かいとついうとうとしてしまいますからね。
今日の講座内容を考えていたのですが、何せ「おぜんざい」が気になって。。。


















今日はお茶の初稽古日。初稽古の日には茶道の後におぜんざいを食べるらしい。理由は聞いたけど覚えていない・・・
とりあえず気になるので
まずはこれを頂いて・・・からということに。

お正月についたお餅をたくさん冷凍してあるのでそれを解凍して焼いて、あずきを炊いたお鍋の中に瞬間いれて、すぐに取り出す。

しお昆布と手作りたくあんのごま醤油和えとお漬物を一緒に。

昆布のお吸い物もよく合います。


















大丈夫、これを頂いたら
熱心な生徒さんがたのために、ちゃんと授業の準備します。

少しでも早くドイツ語を話してもらえるようになるように・・・

でも私自身大学と大学院、しかもその後プライベートでもついて・・・それでもドイツで半年かかってやっとしゃべれるようになるくらい時間がかかったのだから、はっきり言って日本で外国語を学ぶのは大変だと思う。

向こうへ行けば長くても半年だから、やはり留学が一番早い。
ドイツ語の授業が終わったらコンサートで歌う曲の勉強。短期集中方の私は要点つかむのだけは早い。


















さて、もうすぐ0時。そろそろ晩酌タイムかな・・・

今日はCORVO。やっぱりCORVOは白だな~~~

この辛口具合。さっぱり具合!薄緑色がさわやかさを漂わせて。夏はきんきんに冷やして飲むのがいい!
青リンゴみたいな香り?これが好き!!ジャスミンの花のような雰囲気。
香りは一口で言うのはちょっと複雑だけどでも辛口の酸味とバランスがとてもいい。

後味がすっきりしていていつまでもその余韻に浸れる感じ。























一瞬雲に隠れた幻想的な月と。

2011年1月20日木曜日

芸術と料理、美と食

私にとっては切り離せない。料理も一流は完全なる芸術だ。

久しく行っていない神戸の割烹と大阪の料亭に今年こそは行きたいなぁ~。
この秋に関西で仕事が入らなかったら食べにだけでも是非行ってこようと思っている。

20代のころから日本料理に関心を持っていた私。料亭、割烹、創作料理を好んでは食べ歩きをしたものだ。

必然的に(?)となりに座る人は年上になる・・・ しかたない・・・いえいえ、仕方なくはなかった、自分より20歳年上の人というのは今でもそうだが、話が面白い。

私より世界を20年以上長く見てきている んだ。魅力的で当然だ。包容力と温かさはもちろん、彼らの話は興味深い。楽しい語らいと共に「食べる芸術作品」を愉しむ。そうこれも心を豊かにする一つのお勉強。お勉強。

ドイツに住んで唯一残念だったことは、食文化に乏しい国であったことだ。味が大雑把すぎる。私はドイツ料理も好きだけれど芸術と思わせる料理に出会ったことはなかったなぁ。美味しい!!!だけだった。

さて、私の

*おすすめランチ紹介*

一日限定20食 創作料理「一椿」 ミニ懐石御膳 小倉駅前 コレット井筒屋地下


















右はズワズワに煮込まれたビーフシチュー


















中央はこりこりのお刺身、

本当に一つずつが上品な味。


















とろっとした食感のサーモンパテの上に香ばしく焼いたシャケがのっている一品。その横に金柑のなかに甘い大根おろしで和えられたサラダ、その上にいくらが乗っている~一口で食べてこそ、初めて口の中で広がるその未知の世界を知ることができるのだ!すごい!完璧に計算されている!
ちょっと大げさ(?)いやいやでもほんとに美味しい。

続いて温かいもの


















左はチーズがとろけたクリーミーな逸品。かぶと野菜が練り込まれている


















天婦羅は限りなくカリカリしていて特に私の大好物の湯葉巻きは美味しかった


















最後にご飯が出て











デザートに、おぜんざいをいただいて終わり。


















これだけ愉しんでたったの1000円!

お腹がいっぱいになった~~~という感覚がほしい人には、ちょっと物足りないだろうが、美味しいものをちょっと。と言う人には大満足のメニューです。
私的には辛いものが一つでも入っていると100点満点かな!?

甘く、さっぱり、すっぱく、温かく、冷たく、こりこり、ふわふわ、ぷにょぷにょ、ぷちぷち、まったり、さくさく、申し分ない食感と味のバランス。

これにピリ辛一品がほんの少し加わっていたら私の満腹中枢ノックアウト、申し分なし!だったな~1000円でそこまで要求するな~!ですね。

でもこれ、ドイツ人に言わせたら全部で二口かも。
ナイフとフォークとスプーンでおおおおきな口をあけて食べてしまったら、ほんとに二口かも・・・
それで12~13ユーロとか言われたら一発でクレームでしょう^^;

お箸に感謝・・・

そうそう、今日1月20日は「満月」



































精神の健康

私のいるところは、よく「悩み相談所」になってしまいがち。たとえそこが職場であっても。

ほんとに皆さん心の悩み事を打ち明けてくれます。

でも私はその治療法を知っているわけでもなく、(たしかに身内にはその専門家はいるが・・・)
ただただその人のお話を聞いてあげて、それについて私の率直な意見を言うだけです。

彼らにとって大切な事はだれかに話すこと、そしてそれをちゃんと聞いてもらうこと。なんだろう。
聞いてあげたからと言っていろんな問題が解決するわけではないが、少なくとも気持ちがすっきりするようだ。その積み重ねで、徐々に顔が明るくなっていく。

「今のこの瞬間を楽しく」それが必要とされているのだと思う。それだけで楽になるようだ。

4ヶ月前に知り合った3年間苦しんできた鬱の方。今ではすっかり良くなってお薬がいらなくなったとか。その人には人との交流が大切だったようです。

誰かに話したくてたまらなかった亡くなったご主人の栄誉。それを話す機会に恵まれず隠し続けた方もいる。隠すことはないが誤解されてとられるのが嫌で云わなかったとか。

世の中には、立派な方の功績を素直に立派と受けとめず、自慢している、ととる人が多すぎる。
心貧しい世の中なのですね。今はすっかり話されて晴れ晴れとしたお顔、顔色が全く違います。

元気な人を見ると私はほんとに嬉しい。
自分が元気だから(?)
。。。。。。

さて今から約束のランチ、急いで出かけます。

私にとって美味しいものは大切(笑)
美味しいものを「少し」だけ。これが感動を呼ぶんです。小さな幸せです。

2011年1月19日水曜日

喉を壊しました、治してください。

私は耳鼻咽喉科の先生ではない・・・(><;)が、そうやって私のところを頼ってきてくれる人がいるということを、嬉しく思うと同時に、その責任を果たせるかと不安にもなる。

詳しく話を聞いてみると、その方は合唱をして喉を壊されたそうだ。
痛いのに練習を続けて、つらかったが我慢をしているうちに限界まで達してしまったと。

どれくらいの期間それを続けてきたのかまだ聞いていないが。

今は大好きな合唱をやめてカラオケに転向とのこと。

この方は歌うことがとても好きなんだなぁ。

マイクに頼って歌う方をとったがどんどん悪化していくらしい。

当然の結果ではあるが、今さら責めても仕方がない。大好きな合唱を楽しめるようにしてあげたい。

まず息を流す練習。

私がウイーンで勉強した呼吸法を用いてレッスンをする。

「吐いた息を空気に響かせ、声にする、その声を使って歌にする。」

これだけ聞くと当然!だと思うかもしれないが、結構これが大変。

「息」を「空気」に乗せる、ってどちらも目に見えないものだから。声も目に見えないし。

特に意識をすると、今まで問題なく呼吸していたのに急に息が吐けなくなる。

吐けないものを吸えるはずがない。

ここで声が出るまでの間にすでにトラブっているわけだ。問題有りのまま声がでてその出た声をどうこう変えていっても結果は見えている。

だけどそれもいろんな発声のバージョンを練習することで徐々にコツがつかめてくる。

喉が痛いと言われる人だ、いつも以上に注意をしてレッスンをした。

彼女の吐こうとする息が声帯の間を通って出てくる様子を思い浮かべながら今身体にどう息が回っているかなど、より一層の注意を払って。

1時間半のレッスンが終わり、どうですか、喉は?と聞く。

「全く痛くありません!」

ほっとした、教えるということは、自分自身常に初心に戻れる。

また彼女の美しい声が復活して、歌う喜びを感じることができる日を祈って一緒に頑張りたい。

2011年1月18日火曜日

どうして温泉好きかというと

温泉には人生の先輩方を始め女性のドラマが繰り広げられているから。

今日も。

特に私の行きつけの温泉の露天風呂では毎回期待を裏切らないいろんな会話が楽しめる。

年齢層は20代から70代後半。

子供を保育園と幼稚園のどちらにいれようか迷っている若いお母さんたち。
私は娘たちに両方経験させているし、横から口をはさんでアドバイスしたいが、じぃっと聞いているだけ。

仲良しなって話し込むと、せっかくの緑と風、自然とお湯のハーモニーを楽しめなくなるから。

適当に聞き流して、適当にゆったりしたいから聞くだけ。だけど聞こうとせずとも聞こえてくる。別に隠し事をしているわけではないからみんな堂々と話しているのが面白い。

入っている人、皆に聞こえても関係ない。温泉に来る人たちはある程度性格も似ているかもしれない。

文字通り、「裸のつきあい」だ。

悩んでいる20代のお母さんたち。。。話は途切れない。
幼稚園だとお迎えの時間までが短いし、延長保育は毎回別料金のところが多い。
お弁当も用意しないといけないから、手間がかかる+子供の食事が偏る。

その点公立保育園となると競争率は激しいが一旦入れると素晴らしい教育が待っている。
私も娘が入るまで知らなかったが保育園教育はすごい!!!
食事も毎日とても充実していて、家庭では絶対に食べさせるのが難儀なものまですっかり完食させてくれる。食事だけでなく音楽や運動、お遊戯会、しつけ、全ての面においてとても優れた指導だ。

さて、30代の女性たちの会話は、小学生、中学生の子供を持つお母さんたちのお話。話を聞いているとまさにうちの娘と同じだ。子供の友人関係の問題、家での態度、など・・・
みんな同じ悩みを抱えているんだなぁとすこし安心したりして。

少し飛んで50代はスナックのママさん系が多いように思う。
きっと日頃の疲れを癒しているのだろう、○○さんも時々うちで飲んで行ってくれるのよ、とういうような話をしている。あとは一人で来ている人が多い。

そして60代からは年金生活になった夫婦間の話。ここが一番盛り上がる。
面白い話が目白押しでお湯からでられないほど(笑)。

今まで家に居なかったお父さんが急に家に一日中いるんだから、それは大変でしょう。
また会社務めを何十年もしてきた男性は、家でも奥さんを部下扱いしてしまう人が多いようだ。部下扱いとまではいかなくとも、実際やってもらわないといけない事が山ほど。ところが奥さんもそう簡単に言う通りにはならない。もう○十年前の新婚同士ではないのだから・・・

共通のストレスは、朝・昼・晩の3食をしっかり作らないといけなくなったことらしい。
普通主婦というのは、昼ごはんは自由なのだ。

仕事に出ていない限りおそらくどこも同じリズムだと思う。
朝、旦那や子供を出したら家事を済ませる。朝食の片付け、洗濯、掃除、買い物。と続く、どこまで手を抜くかによって時間に個人差ができるが・・・。(家事は100%完璧にしようとするとノイローゼになるほど、大変な仕事なのだ。)

そうこうしているとだいたい10時半から11時半。すぐランチの時間が来る。家にいるなら一日で一番簡単に済ませる食事の時間。

友人を家に呼んでランチ。またはお友達とランチへ出る。楽しい時間。友人と話し始めるとすぐ15時を回る。そして子供たちが帰ってくる時間だ。私もケーキやお菓子を焼いて友人を呼ぶランチの時間が大好き。

子供の帰る時間に合わせて、おやつの用意、そしてお稽古ごとへの送り迎え、などなど。そして夕飯の支度に入り、旦那が帰ってくるわけだ。

その後は片づけ、お風呂、。。。

あっという間に22時。

一般的な主婦のスケジュールだと思う。
私も基本こうだが公演近くになると家をあけっぱなし。外泊までしてしまうから、このリズムは全く狂ってきます(笑)。

さて、自分の趣味の時間はやはり「昼食の前後」。ということになる。この時間帯は非常に大切なのだ。
その時間帯に旦那さんが居間にいるようになるわけだ。

そう、この長年の生活リズムが63歳くらいから急に変化してしまうとなるとやはり大変かもしれない。温泉へ逃げてくるわけだ。聞いていると新しい生活リズムに順応するのに約5年はかかるようだ。

露天風呂のおばさまがたの話はとても良く理解できるし、納得~と思うことばかり。

私は主人の仕事上、夫婦で一日中一緒に居る時のお互いの暮らし方は心得ているつもりだが歳を重ねるとそれぞれ難しくなるのかもしれないなぁ・・・

音楽家や芸術家、事業家、その他自由業、医科歯科関係は「企業での退職」というのがないから65歳を過ぎてからの暮らし方も上手かもしれない。ようするに退職後の男性が自分の楽しめる何か、または自分の道を持つことができるかどうか、というところのようだ。

その時に夫婦どれだけお互いを理解しあえるか、なんだろうな。

私は今から10年の間にやりたい夢がある。それが終わったら、次の10年も決めている。
そしてその後10年叶えたい夢がある。どれも一本の道。先の10年が成功したら次につながること。ということは、まずは目の前の「明日」からスタートだ。

一筋に一つのことを継続させることが自分を生かす方法。

そして、70代の女性が話していることは、あきらかに先程の60代の女性達よりも上をいった話だ。
上と言うか、やはりそこを通過してきている人達だな。という感じ。

・身の上話

・自分一人じゃぁ生きてはいけんよ。

・主人がいた頃は・・・とご主人より長生きされている。

・色白の私も、たった色が白かっただけ、な~んにもいい事なかった・・・。(この話を聞くのは意外と多い)

・孫地獄に陥った話。孫以上に愛おしいものはないと。

・身体の心配。

・お互いの病気を話してアドバイスし合う。

明らかに人生の思い出と反省、人の悪口より、お互い労わる話、になっている。

不思議な事はどの年代をみても、自分の趣味の話がでないこと。

これはとても面白いことだと思う。普通女性が集まるといくつになってもショッピング、グルメの話はつきものだが、温泉ではあまり聞かない。

やはり洋服を着ていない者通しの心のふれあいなのだろうか。

これが温泉の魅力の一つでもある。

今日もサウナ5回、ミストで髪と喉のケア、露天で美味しい空気を吸って、ボディケア20分。アイスクリームのフルコース終了。

2011年1月16日日曜日

マイナス2度と初釜の様子

茶道表千家流、白川宗郁(母です)社中初釜が行われた。




        


















私も子供のころよりその手ほどきを受けたが、残念ながら興味がなく一番初めのお免除を頂いてからやめてしまった・・・お茶の世界を広める人になるというのは、ただ茶道を学べばできるというわけではない。


















本日の名簿を準備


















待合には
「クスノキの根っこのたばこ盆」が真ん中に用意される








































茶道に使われる道具の由来、歴史、その背景、意味、お軸の解読、華道、着物について、最も必要とされるのは焼き物についての知識である。五行陰陽もかかわってくる。


















東大寺管長、句仏の書。























母は今から数年前、千の利休から伝わる茶の湯についての講義をドイツで行った。その時母は簡単にも350万円の抹茶茶わんを機内手荷物で持っていき、その茶碗で、これまで抹茶なぞ飲んだこともないドイツ人に飲ませてしまう人なのだ。

その講義とお茶会の後参加されたお客さんの一人が言った。
「今私が手にしたお茶碗は金額にしてどれくらいするものなのですか。全く見当がつきませんので。」と聞いてきた。

母は何事もなかったかのように350万円です。と答える、驚いて目を丸くしたそのドイツ人は先に聞いておかなくて良かった、知っていたらとても飲めませんでした。でももし手を滑らせて落ちてしまって壊れたらどうするところだったのですか。と。

「落ちたら落ちた時です。これが禅の心です。」と答える母。

始めから高価なものであることを示す必要なんてないからだ。聞かれなければ誰も知らない話。
でも本物にはそれだけの質と魂があるということだろう。問うてきた人はそれにきっと気付いたのだろう。

私は妙に納得してしまったのを覚えている。

その昔大学生の頃、大阪のど真ん中にある、一流料亭のお茶室でお抹茶を点てていたことがある、時給1400円となかなかいいバイトだったので結局8年間も続いてしまった。茶道歴がある学生でないと働けなかったし、着物を着るので身長は165cm以下でなければならない。規定があると募集してもなかなか集まらないものだ。それにしてもとても居心地のいいバイト先だった。
皆ができない事ができると必ずいいことがあるよ。と子供の頃から母が言っていたのが納得できたときでもあった。当時の大阪のバイトの時給額は700円が相場だったから。

そして、ある日、新米、当時18歳の私は
手を滑らせて割ってしまった!!
九谷焼の茶碗、先輩らは青くなり、8万~10万円だと言う。おそるおそると社長室へ連れていかれ、新米の私は、連れてきてくれた先輩に、どのようにふるまうのか教えられ、その通りに大変申し訳ございませんでした。と頭を下げた。

社長は怖い顔一つせず、一言。

「怪我はなかったかね?」

驚いて、はいありません。というと、

「良かった。気をつけて下さいね」

と言われただけだった。母の落ちたら落ちた時、と言っていたのと似ている気がする。

えっと急に初釜の様子に戻るが、↓
こうやって脚や腰の悪い方は小さな椅子に座ることも許されます。
さて、初釜が始まったところで私はカメラマンのお役目を終了。


















私はやっぱりこうやってオコボレ頂戴(笑)で残った主菓子を自分の部屋でお煎茶と頂くほうがいい。
花弁餅


















和菓子と洋菓子どちらも捨てがたいですっ


















北九州のお薦め洋菓子屋さん「果摘」のお菓子です。


















今日は1日中寒かった。マイナス2度























なので今日も赤ワインを飲んで身体をリラックスさせてあげることにします
Rosso Piceno 2009























ドイツではイタリアの赤ワインをあまり飲まなかったからこっちにきてだんだん慣れてきた感じ。これはきつさがなくてふわっとした味わいかな。私はメルロー結構すきなのでこの手の味は好きかも。
開けて二日目だけど香りのふんわり感が気に入った。