2011年6月3日金曜日

今日ほどこのリュートの音が心地よい日はない

Jan Grueter のバロックリュート。
私の大好きなCD。


















ドイツに住んでいた頃、指揮者であった故カウフマン氏(Kauffmann)と演奏旅行で日本へ来た時、空港で偶然にもあったJan氏。カウフマン氏のお弟子さんだったとか。今から日本でこのCDを売り出すんです。と一枚私にもプレゼントしてくれた。

本当に心を落ち着かせることができるやさしく、あたたかく、心のこもった音楽だ。

リュートやチェンバロはいつも、一人っきりで、ゆっくりいろんなことを考えたいとき、
時間を愉しみたいときに聴く。心が本当に落ち着いて穏やかになる。(決して、いつも穏やかでないわけではない^^;)

今日の午後5時ごろ、愛する祖母が亡くなったとの報告をうける。


か細い声で「みゆきちゃぁ~~~ん・・・」と電話で話したのは、つい4-5日前。

今週はたて込んでいるので、来週必ず行くから、待っててね!
今年に入って急激に体力が衰えた祖母は何度かこん睡状態に陥りながらも、でもまたよくなってはの繰り返しだった。

最後に会ったのは一ヶ月半ほど前かな。
祖母は初孫になる私を本当に可愛がってくれた。来週まできっと大丈夫だと信じていたのに・・・
本当は火曜日に会いにいくのだけど、ずっとここのところ火曜日が忙しかった><

祖母は眠るように息を引き取ったとのこと。筋肉はなく、骨と皮だけになってしまっていたので、呼吸をするのがとても苦しかったようだ。息が吸い込めないらしく、空気が足りない、足りない、と言っていた。

死にたい、死にたい・・・酸素マスクをください。

死にたいのに、神様はどうしてまだ死なせてくれないのか、どうしてか・・・って。いつも行くたびにいつもそう言っていた。

そうね、外へも出られない、自分では何一つ出来ない、TVも見れない、本も読めない。
これでただ生きていろ、といわれてもそれも生き地獄かもしれない。いっそ意識がなければまだ本人は楽なのかもしれない。だけど、頭はしっかりしている。ただ酸素がまわらないから、いつもひどい頭痛に悩まされていた。

もちろん命はかけがえのないモノ、大切にしなければならない。
だけど、今年99歳になる祖母は、6年、いやもっとかな?こうやってただずっとベッドに横になっているだけだった。

もし、私がその身なら、、、果たしてそれでも生きていたいだろうか。

わたしは「よかったね、おばあちゃん!楽になったね。やっと苦しくないね。息ができるね。」と言いたい。

今頃は身体が軽くなって、白い光になってるのだろうか。それともまだ空気中で自分の抜けがらとなった姿をみているのだろうか。

月曜日の告別式では歌人として生きた祖母の証しとして、祖母の詩を歌うつもりだが以前歌ったとはいえ現代曲風に作られているこの曲を急には歌えない。。。

なんとか時間を見つけて歌えるようにしなければ!練習できる時間は明日の夕方19時から1時間ほどしかない。

エネルギーの集まる日。というのは絶対にあると思う。父方の伯父も危篤とのこと。

告別式の日は6年ぶりに愛する恩師、蔵田裕行先生に会う約束をしていた日。バッハ「ロ短調ミサ」のソリストで呼んでいただいた時以来の再会のはずだった。積もる話に花を咲かせるつもりであったがまたの機会を待つことに。

今日は朝9時半夜9時半まで仕事だった。仕事から帰ってもうへとへと・・・、
スポーツクラブで体力をつけていなかったらもっとしんどいかも!?

子供を抱きしめてあげる時間もなく、片づけと父の翌日のお弁当作り。翌日もまた仕事で時間がないから、もう今晩から明日の食事の支度をして。仕事と言っても大好きな音楽であるから精神的な疲れは全くなし!であるが。

次女の保育園のお帽子に刺繍を縫いつけて、やっと今、終わった所。

もうすぐ深夜12時。

私の疲れた気持ちを癒してくれたのはこのヤン・グリューターのリュート。

ありがとう。

お陰でゆっくり休めそうです。

おばあちゃん、ゆっくり、休んでくださいね。